想像するという力。

関西福祉大学看護学科で、久しぶりの対面演習に臨んだ。

 

ある学生は反応がない。

表情も変わらない。

けれど、ずっと目を見てくれている。

ロールプレイが終わっての感想は

「SPの患者さんで緊張した」

・・・SPの患者さん。

そして、続いた。

「聞きたいことがあったけど、タイミングがつかめなかった」

 

 

またある学生は

「頭が真っ白になったけど、食事のことが聞けて良かった」

またある学生は

「沈黙になってしまって。でも、何を話そうか考えて伝えられて良かった」

 

聞きたいことがあって、それが聞けて良かった。とか。

話すことを考えて伝えられて良かった。とか。

そういう感想って

きっと自分のする事にとらわれいる。

聞けるか聞けないか。伝えられるか伝えられないか。頭で考えて終わってしまって。

それでは、こころのやり取りにいたらない。

想いが届いてこない。

 

「仕事に戻りたい関西さんは、仕事をまた始めて今までの食生活を変えられるんだろうか。医者から退院してからのこと聞いて、関西さんははどう思われているんだろうか」

ロールプレイが終わって、その感想を言った学生は、私が話すと反応してくれた。

色んな表情を見せてくれて。

私はどんどん話したくなっていた。

 

想像するという力が、どれほどのものか

関西福祉大学でも深く感じることとなった。

 

そうそう。

ある学生の出だしの言葉。

「今朝、水が飲めるようになったんですけど」

「えっ、誰が?」

関西さんは(このベタな名前はやめてほしいが)

昨日胃がんの手術をして、今朝やっとお水が飲めたという設定ではあった。

が、しかし・・・おいっ。