濃厚接触者としての6日間。

家族が陽性とわかった。

朝から微熱と喉の違和感と、それ以上に精神的な重さが伝わってきた。少し大仰に言うと絶望感にも似たものだ。

発熱外来で陽性とわかるまで、1時間半も車の中で待ったという。暑い暑い日だった。

その暑さの中待ち続けてやっと解放されたからだろうか。「陽性だった」という声が少し明るく感じた。

まるで審判を待つような時間だったのかもしれない。

でも、結果がわかった方がよほど自由なのだと思う。あとは、指示通り動けばいい。

隔離生活が始まる。

何度も何度もネットで、どのように生活をするか調べる。

だんだん、家族をバイ菌扱いしてることと

繰り返し繰り返し手ばかり洗って、消毒ばかりしてる自分に、少し嫌気がさしてきた。

そしてまた、仕方ないとリセットして。

そしてまた、嫌気がさして。

その繰り返し。

その中で、気づかないフリをしていても、やはり私も陽性になるのではという不安に襲われる。

そんな時、やっぱり手洗いと消毒とうがいをする!

この基本をしていれば大丈夫という

不思議なくらいの安心感が生まれた。

不安に襲われたら、手洗い、消毒、うがいをする。この基本行動が、私を守ってくれた。

一概には言えないが、コロナ禍の中

気をつけることを守り続けることの大事さを

濃厚接触者としても、強く実感した。

この体験は残しておかねばね!と、思う。

足立先生。

倉敷中央高校看護専攻科での2回のロールプレイ。

1回目は看護学生森さんとのロールプレイだった。

昨日、余命宣告を受けた患者竹内は麻薬を使うことを拒否している。

森さん「麻薬をなぜしたくないのか聴かせてもらえますか?」

その眼差しは深くて、思わずその理由を話していた。

すると、竹内を見る森さんの目から大粒の涙がこぼれ落ちた。竹内は森さんの手を握って言った。

「どしたのー?」そういう竹内も泣いていた。

森さん「辛かったですね」

2人で手を握りあったまま、少し泣いた。

森さん「何かしたいことがありますか?」

その言葉が、ぐっと私の深い部分に優しく触れた気がした。

「怒られるかもしれんけど(亡くなった)主人に会いたい」

ただ聴いてもらう。それがどれだけのものなのか。私は竹内という患者を通して、生きる力に触れた気がした。この人(森さん)がいるなら、もう少し生きてみたいと思えていた。

 

そして、足立先生のフィードバックだ。

「森さんが泣いたのは、あなたのこころの動きそのままです。看護学生としてだけでなく、1人の人として竹内さんに向き合って想いを引き出そうとしていた」

「観察学生から、オーバーテーブルに置いてある私物に触れてみたら良かったとありました。でも、気づいていないのなら、あえて言う必要はありません」

 

2人目は上田さん。

上田さん「麻薬をなぜ使いたくないんですか?」

竹内「、、まだ大丈夫かなあって」

上田さん「使いたくなったらいつでも言ってください。お友達さんは会いに来られてるんですか?」

竹内「今は無理よ」

上田さん「オンラインで会うこともできます。何かしたいことありますか?」

竹内「最後は家でお別れしたいから。帰って片付けしたいかなあ」

上田さん「病院にお願いすればお手伝いさんも準備できます」

もう耐えられなかった

あまりに普通に話す上田さんに、竹内は聞いた。

「余命宣告を受けたこと知ってるの?」

上田さん「そういう風に聞いたかなあ、、」

竹内は泣いた。「もういい!」

 

上田さんの感想だ。

「やらかしたなと思っています。僕の話し方が無機質だった。話題を変えないといけないと思って

、、麻薬を使ってもらうという目的が達成出来なかった」

足立先生のフィードバック。

「竹内さんの情報を時間をかけて読んだよね。まず竹内さんをイメージすることが欠けていた。こころに落とし込めていない。だから、どんなに取り繕っても表面的な会話しか出来なかった。そんな表面的なやり取りで、竹内さんのこころは開けない。竹内さんのこころに気づいて欲しかった。こころの動きをキャッチして欲しかった」

上田さんは泣いていた。

その上田さんにティッシュを渡しながら、足立先生は続けた。

「自分がどうかではない!患者さんを知ろうという姿勢です」

 

足立先生の姿勢にこそ、潔さを感じた。

看護教育にこんな先生がいてくれた!

こころ深くに刻んでおきたい。

 

 

 

岡大歯学部SP参加型医療面接実習。

今年の実習で、最後に学生たちの感想を聞いた。

こころに残る感想たちを残しておきたい。

「プロのSPさんとロールプレイをすることで、やり取りが本物になっていくのをみた。今までの性格を否定せず、自分の人格をすり合わせていくことで、相手とも繋がっていくことがわかりました」

「マニュアルでやり取りすることを学んできたけれど、一方的に治療をするために聞くのではなく

患者さんと一緒に治療していくことが大事だと思いました」

「聞かなきゃいけないこと、話すことに必死になってしまった。目の前の患者さんをみることが大事でした」

 

歯学部でも、学生たちによって医療面接実習に本当に血が通い始めていることを感じた。

岡山大学医学部にて。

今年も4年生の総合診療医学の授業に参加した。

学生たちの希望で、今年もオンラインになった。

それには訳があったのだと思う。

デモンストレーションを、全員が同じ角度で

すごく近くにみることができるからではないか。

光田先生の医療面接から“映像を思い浮かべながら聴く”

そのことを、ありのままに実感したのではないだろうか。そしてそれを望んでいたように思う。

それは、片岡先生の問いかけに応える学生たちの声からも、本気が、そして真剣さが伝わってきたからだ。

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そして引き続き岡大医学部にて、1年生の医療面接実習。

今年の希望者は、50人枠を越えたという。

1年生たちからも、本気が、真剣さが伝わってきた。

本物の医療面接実習に立ち会えている。

そんな感動すら感じた。

一人の学生の感想だ。

「医療面接を勘違いしていました。質問を考えて自分が欲しい情報を得るのではなく、相手とのやり取りから聴きたいことをひろっていくことが大事でした」

その感想が、この実習を物語っていた。

総合診療医学で生まれた医療面接実習が、学生たちによって本当に血が通い始めていることを実感した。

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桃たち。

桃農家に嫁いで5年目の夏。

毎日毎日朝早くて、袋かけの重労働は続き。

収穫の時の炎天下の暑さは尋常ではなく。

その中で桃たちは、待ってはくれない。

桃が一気に育つと、発送に追いつかず。

夜なべが続き。

雨が少ないと実が大きくならなくて、ご注文の玉数にならないからとお客様に謝り続ける。

 

それが自然を相手にするということ。

それでも、桃たちがずっと教えてくれていることがあった。

―そのままでいい―

同じ枝で、熟れ方が全然違ってもいい。

大きくならなくて青いまんまでもいい。

枝で過熟になって、そのまま土にかえすこともある。それでもいい。

何があっても、桃たちはただ桃たちだった。

その中で、こころ揺れ動かしながらくたびれ果てる私。

でも、確かに一緒に生きていた。

ずっと桃たちに許され

ずっと桃たちに見守られていた。

私は、いま、そう思う。

 

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動揺。

ファミレスに行って、会計の時だった。

いつもならPontaカードを出すのだけれど「ポイントカードをお持ちですか?」と、聞いてきた若い女性スタッフの手が示す表示に、Pontaカードが消えている。

思わず声にしていた。

「あれっ、Pontaカードは?」

「ポイントカードをお持ちですか?」

私の言葉には反応なく、同じ言葉を繰り返された。

「あれっ、Ponta無くなったの?」

また聞いてしまった。

それでも反応は返ってこなかった。

「あっ、失礼しました!ないんじゃね」

こっちが動揺して、会計を済ませた。

 

トイレに行ったツレを待つのに、レジの前のソファに座った。

すぐに他のお客さんが会計に来た。

続けて、さっきの若い女性スタッフが言った。

Pontaカードをお持ちですか?」

ポイントじゃなく、Pontaって言ったよね!

やっぱり動揺してたんやないかあー