初子のこと。

夢の中で対話していたのは初子だったかもしれない。というブログには、実はその初子の存在の大きさがあることを付け加えたい。

2016年1月に三太郎という雄猫と一緒にうちにやって来た。

その前年まで3年続けて毎年うちの子(猫)たちが旅立った後のことだ。

それまでのうちの子たちは抱っこさせてくれなかったので、抱っこすることが憧れで譲渡会で抱っこできたのが三太郎だけだった。といういきさつで三太郎はすぐに決定。でも、シェルターで姉弟のように仲が良かったという初子もぜひにと勧められて

初子はおまけの形でうちの子になった。

そんなこともあってか、初子は特になかなか慣れてくれなかった。

それが少しずつ少しずつ変わってきて、ついには私の背中や肩に乗ってくるようになった。

それは奇跡のごとくものすごい喜びだった。

ところがこの2年ほど私にはその甘え方はまったくしなくなり、ツレにだけその行為をするようになった。

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私を試してるかのように、こんな風に私を見ていることがある。

「私はこっちの方が好きよ。その意味わかります?」と、言わんばかりに。

そんな日々の中、時々私の布団の中に入って来ることがある。

嬉しいよりも、ちょっとどきどきしてしまう私がいる。ゆっくり撫でながら、どうせあっちに行くんだろ。私のところにはちょっとだけだろ。と、みじめな感じの私にまでなってしまって。

そんなある夜、どきどきしながら初子を撫でていた時、不意にこんな想いが浮かんだ。

「愛させてくれてありがとう」

えっ?と、自分で自分の想いに驚いた。

 

こんな感じでこんな風だから愛します。

はたまた、愛してくれるなら愛します。

みたいな、そんなのでなくて

それでも愛せる私になれたことに続けて驚いた。

 

なーんだ。そうかあ。

初子は私にそれを教えてくれてるんだよなあ。

 

そんな大きな存在の初子なので、夢の中の対話が

とても自然であるということなんです。