人も自然の一部という。
人、しかもそのこころを感じたいという研修の翌日
まったくの自然の中に身を置いた。
その静けさは、研修のことをゆっくりと思い出させてもくれた。
母子保健の場面でのことだ。
20代前半だろう、その保健師のロールプレイをした後の感想だった。
「お母さんの大変さは想像できるけれど、子供を産んでないので気持ちがわからない。だから、どう育てたらいいのかと言われても、どうしたらいいかわからない」
気持ちがわからないことが、本当につらそうだった。
SPのフィードバック。
「一番印象に残った言葉です。お母さん、頑張っとってなんで。ズキュンでした。色んなこと話したくなった。希望が見えた気がします」
保健師はとっても嬉しそうな表情を見せた。
ファシリテーターとして、私は続けた。
「気持ちがわからないって思うんですね。でも、確かにお母さんの大変さをうんと想像してあげてた。ほら、希望が見えたって」
「気持ちはわからないんです。反対にわかったらこわいよ。だから想像してあげるんです。想像してあげたから、気持ちを吐き出せる時間になったんです」
気持ちがわからない。
それでいいんだ。
それが自然なことなんだ。
だからこそ、想像するってエネルギーが湧いてくる。
そのエネルギーが当たり前すぎるほど当たり前に、こころの中で止まることなく湧き続ければ、どんなにいいだろう。
自然を見ていると
使われてないものが
生かされてないものが、人の中にまだまだあるということを静かに思う。