人と自然と。

人も自然の一部という。

人、しかもそのこころを感じたいという研修の翌日

まったくの自然の中に身を置いた。

f:id:spjunko:20200929105822j:image

その静けさは、研修のことをゆっくりと思い出させてもくれた。

 

母子保健の場面でのことだ。

20代前半だろう、その保健師のロールプレイをした後の感想だった。

「お母さんの大変さは想像できるけれど、子供を産んでないので気持ちがわからない。だから、どう育てたらいいのかと言われても、どうしたらいいかわからない」

気持ちがわからないことが、本当につらそうだった。

SPのフィードバック。

「一番印象に残った言葉です。お母さん、頑張っとってなんで。ズキュンでした。色んなこと話したくなった。希望が見えた気がします」

保健師はとっても嬉しそうな表情を見せた。

ファシリテーターとして、私は続けた。

「気持ちがわからないって思うんですね。でも、確かにお母さんの大変さをうんと想像してあげてた。ほら、希望が見えたって」

「気持ちはわからないんです。反対にわかったらこわいよ。だから想像してあげるんです。想像してあげたから、気持ちを吐き出せる時間になったんです」

 

気持ちがわからない。

それでいいんだ。

それが自然なことなんだ。

だからこそ、想像するってエネルギーが湧いてくる。

そのエネルギーが当たり前すぎるほど当たり前に、こころの中で止まることなく湧き続ければ、どんなにいいだろう。

 

自然を見ていると

使われてないものが

生かされてないものが、人の中にまだまだあるということを静かに思う。