令和元年になっても。

20年ほど前、研修医指導医講習会に参加していた。

SPというより雑用係での参加だった。

私は、尋常じゃない数のコピーのとり方すらよくわからなかった時代だ。

そんな研修で、SPという存在を知り、病院の研修医研修にSPを使って下さった医師が数名いて下さった。

そのお一人が、倉敷中央病院の馬場先生だった。

馬場先生の後を引き継いだのが、福岡先生。

そして、いつしかその研修は経ち消えた。

 

福岡先生に、研修医指導医講習会という名の場所に5年ぶりに呼んでもらった。

ここからは、赤裸々なつぶやきだ。

 

会場入りして、ほんの数分の打ち合わせ。担当は倉敷中央病院の若い先生だ。

それから、SP2人は通路の椅子に座ったまま、30分ほど過ごすことになった。

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コーヒブレイクの時間、参加者が雑談をする中

何者か告げることも無いまま、ただそこにいた。

セッションが始まっても、誰も呼びに来られず

SP自ら、会場に入る。

そこにおられた福岡先生に、静かに挨拶すると

「来られたんだー」の一言。

福岡先生から、まずはご依頼頂いたんですが。

 

ハンドマイクを持たされ「岡山SP研究会の佐々木です」と、挨拶を求められ、その後すぐに一回目のロールプレイが始まった。

 

二回目のロールプレイ。

私は、亡くなった母の元へ駆け込む役。

駆け込むために、ドアを開けて入りたいとお願いしていた。そのドアは参加者の前を通って行く場所にあった。

「母は…」その言葉をハンドマイクを握りながら振り絞る。

 

ロールプレイの後、参加者のディスカッション。

その時間に、会場の後ろに用意されていた飲み物に気づく。やっとお茶を手にできた瞬間、私は佐々木さんに向かって、ペットボトルを持った両手を高らかに上げていた。

 

ロールプレイをして下さった研修医の感想はまっすぐだった。

「(指導医からもらった)フィードバックの後、ディスカッションしたい。そうでないと、せっかくのフィードバックが一方通行になる」

その素直な感想が、私たちSPを支えてくれた。

 

研修医指導する前に、人としてどうなんや。

20年前のSPとしての扱いを思い出す。

でも、SP云々はどうでもいいんや。

人としてどうなんや。

久しぶりにいたたまれないほど、悲しくなった。