こころを育む。
表現を工夫すればこころの筋肉を鍛える方法とも言える。
今まであまり使ってこなかった筋肉を鍛えるのだから、今までとは違うやり方を当然知らなければいけない。
自転車には乗れるけど、いきなり競輪場には出れないという感じだろうか。
そんな風に想像したら、何も鍛えないことがいかにこわいかことかと思ってしまう。
「ここでは我慢する」
「ここではあえて言わない」
「ここでこそ何事も無かったように振る舞う」
人はそうして無自覚のうちにこころをすでに鍛えてきている。
何より人は守るために本能を使うと言う。
生きるために、家族のために、誰かのために。
それは至極当然の事なのだ。
それがその人の生きるそのものだから。
でも、SPをするということは、そこではないこころを使う。
だからこそ、SPをするためのこころの筋肉を育む必要がある。
筋肉の使い方にはクセがついていると言われる。
こころも同じ。その自分のクセを知り
SPに必要なこころの使い方を新たに吹き込んでいく。
その作業が“自分を知る”それだけだ。
でも、それはSP学で学びながらでなければいけない。
闇雲に自分のやり方をすれば、今までと同じ繰り返しになってしまう可能性があるからだ。
SP学を学ぶ仲間と切磋琢磨しながら
“自分を知る”という鍛錬を積んでいく。
それこそが、真にこころを育むということだ。