大腸がんで手術を受け、ストーマをつけた関西という患者の役だった。
ある看護学生とのやり取り。
「不安があるということなので話を聞きに来ました」
「ストーマの色が赤くて不安だと聞きましたが」
関西「そうやね。怖いんよね」
「その赤色は正常な色、、」と、学生は資料に目を落として読み始めた。
関西「そんなの聞いてない。説明なんかいらない。看護師さんもみんな説明して、大丈夫ですって言って、そんなのもういい!」
明らかに学生の表情が変わった。
「そうですよね。関西さんが少しでも早く人口肛門に慣れてもらうために看護師さんも説明されるのだと思います」
関西は思わず言葉にした。
「そっち?!」
関西「ずっと我慢して、こんな人口肛門なんていらない。なんでこんなことになるんやって」
黙って頷いていた学生が声を出した。
「私も手術をした事があるので、わかります」
関西「あなたもガン?」
「いえ、違います」
関西「だったら、簡単に言わんで。そんなに簡単にわからんやろ?」
「すべて理解することは無理ですが」
関西「そんなすべて理解して欲しいなんて言ってないよ!」
関西「こんなことになるんなら死んだ方がましやって。もうつらいんよ。怖いんよ!」
学生の方を見ると、学生は涙を流していた。
マスクがすでに涙で濡れていた。
関西「こんなこと言えんかったんよ」
関西も泣いた。
ロールプレイが終わった。
学生は堪えきれず声をあげて泣いた。
「関西さんにこころの整理をしてもらいたくて、説明したくて、理解はできないけど、寄り添いたかった」
その気持ちは充分すぎるほど伝わっていた。
だから、関西は気持ちをさらけ出せていた。
「これからもそばにおって欲しい」こころの中でそう思っていた。
学生たちは皆、患者さんに共感して理解してあげて、少しでも不安を取り除いてあげたいと思っている。
でも、共感がなんなのかわからないまま
いつしか手段となり、自分の理想とするやり方に転じてしまっている。
準備した質問をして、準備してきた内容を答えて、自分の体験やら、一般的な情報やら、あの手この手で関わろうとしてくる。
そこには、こころが、人のぬくもりが感じられない。
ロールプレイで、SPとしてありのままに感じたものを出した時、
学生たちは戸惑う。固まる。泣いてしまう学生も多い。
でも、それこそが共感の始まりではないか。
準備したものを手放して、ただ自分として
患者の前に身を置くだけ。
それこそが真の共感という始まりの瞬間なのではないか。
それを体験して欲しい。
切にそう思う。