フー子はうちの子になってすぐに5匹のお母さんになった。帝王切開でお腹を縫った状態でふらふらしながらも子どもたちにお乳をあげたり舐めたりする姿が忘れられない。
フー子と2匹の子どもたちと一緒に神戸から岡山に帰ってきた。貰われるだろうと思っていたので名前をつけないままでいたけれど、うちの子になった2匹は柄そのものが名前になる。男の子のトラに女の子のミー子。
ミー子は突然死んだ。高知の仕事から帰ってきたらたったの2日間で急に痩せていて動かない。驚いて動物病院に向かう途中激しく鳴くので、ゲージから出して「ごめんよ、ごめんよ」と、頭を撫でた時断末魔の叫びのように大きく口を開けて逝ってしまった。13歳だった。ミー子はシャイでほんとにツンデレで甘えてもらった思い出は少ない。フー子のことが大好きでいつも一緒だった。
その翌年、身体がでっかいトラにも異変が起こる。糖尿病と診断された。インスリンを初めて打ってからどんどん悪くなっていく。病院を変えて、強制給餌とクスリや点滴や。そして何度も入院させた。必死だった。ミー子の後悔があったから余計必死だった。治療を嫌がるトラを何とか復活させたかった。
そんな毎日が2ヶ月ほど続いても一向に良くならない。病院のゲージの中にいる弱っていくトラを私はもう見れなかった。だから先生の言葉を振り切って「連れて帰ります!」と初めて先生に逆らった。
連れて帰ったその夜に私の布団の中に這いつくばって入ってきて、翌日ミー子のところへ旅立っていった。14歳だった。
トラがあんなに嫌がることばかりして本当に良かったんだろうか。それから後悔がずっとつきまとっていた。
そしてその翌年、とうとうフー子にもやってきた。
どんどん弱っていく。トラと同じように強制給餌と点滴と無理やり飲ますクスリの毎日が続く。
でも、ある時すべてをやめた。ミー子とトラが教えてくれてる気がした。
「もういいよ、母ちゃん。私たちは時が来たら潔く逝くよ」
それからは、フー子と今までと何も変わらない日々が戻った。その日々は5ヶ月にも及んだ。
最期は「ありがとう」って見送れた。フー子16歳だった。
3年をかけて私はたくさんのことを学んだ。
自分に重心がある時は自分ばかりが痛い。自分が大事にしている自分以外の命に重心が移った時はすべてが潔くなっていく。大きな何かに委ねられるようになっていく。
ミー子、トラ、フー子がいなくなってから3ヶ月。
猫のいない生活はそれが限界だった。
譲渡会で、女の子のはつこと男の子のさんちゃんを迎えた。2匹とも今年で5歳になる。
ツンデレはつこのことを時にミー子と言ってしまったり、でっかいさんちゃんをトラと言ってしまうことがある。
フー子のこと思い出して泣いてたら、「あっ」って気がついた。フー子はミー子とトラをはつことさんちゃんの姿に変えて私に寄越してくれたんだ。
“これから先何があっても私の時のように肩肘張らず一緒に生きてみてくださいよ。
もうちゃあんと学んだでしょ。
ミー子もトラもわかっているよ。でももう一度私の時のようにはつことさんちゃんと体験してみてね”
フー子より。
命はみんな繋がっている。見た目は違えども必ず繋がっていて、その命たちがずっと見てくれている。
どんな時も応援してくれている。
それが今ならよくわかる。