試練があるということ。

今ひとつこころが近づけない看護学科の先生がいて。

表面的には笑って話せてはいるが、これが割と厄介で。

笑いつつも、こころの内は見せないぞが伝わってくるようで。

そんな出会いが、最後の5回目を迎えた。

雪が少し積もった朝、大学の水道管が凍ったのか、演習がある棟のトイレが使えないという。

演習前に、いったん外に出て他の棟のトイレに先生と共に向かった。

トイレのことを考えると、休憩時間を少し長くして欲しいと話したところに、トイレが使えるという伝達が届いた。

思わず、先生とSP達が同時に拍手していた。

 

試練があればこそ、こんな形でこころが通い合うことがある。そこにはなんの隔たりもなかった。

 

コロナ禍という試練は、そんなことも呼びかけているのではないか。なんてやっぱり思ったりする。