最期は家で過ごしたいという終末期の中井さんという患者だった。
「早く退院したいんですね?帰ったら何がしたいですか?」
「・・・ここで死にたくないから」
「ここで死にたくないんですね」
繰り返された。
「今、何か不安がありますか?」笑顔に見えた。
えっ?と、思って「・・・そうやねぇ。死ぬことかなあ」と返した。
「そうですね」
返された。
「もう長くないから」思わず言っていた。
「それは不安ですね」
と、返された。
「帰って何かしたい趣味とかありますか?」
その明るい気配に必死で返した。
「私、もう長くないって聞いてる?」
「はい」なんの迷いもなく返されたように感じた。
「じゃあ、なんで退院してからしたい趣味とか聞くの?」
「気晴らしになるかと思って」
6回のロールプレイで、中井としてどれほど痛めつけられただろう。
でも、学生たちはロールプレイが終わった途端に泣いている。そしてフィードバックの後に感想を言うのだ。
「どうしていいかわからなかった。でも、看護学生と患者さんと出会うというより、人として人と出会うことが大事なんだと思った」
「マニュアルや、教科書のことばかり考えて、中井さんを見れなかった。用意してきたもので話すのではなかった」
そして、ファシリテーターの先生が言われた。
「自分の中に感情が生まれてくるのに、それを感じる余裕がなかったね。湧いてくる感情を大事にして欲しい。中井さんはちゃんと返してくれている。振り絞って言葉にしてくれたんだよ!受け止めなきゃ」
「みんな殻に入って別人だった。もっと自分を感じて。やり取りをしてこそ気づくことだから」
それは、SPとしても嬉しかった。
でも、ふと思う。
SPとロールプレイすることで
用意してきた質問を手放すことなく、不自然な反応を繰り返してしまう学生たち。
どんな想いで準備をするのだろう。
殻に閉じこもって別人になってロールプレイしてしまうのはなんなんだろう。
どんなマニュアルがあって、教科書にはなんて書いてあるのだろう。
SP演習の最後に、学生たちの素直な表情に出会う。
SP演習がなくとも、この素直さを生かす教育があって欲しい。
ついぞ、そう思ってしまった。